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シンガポール 歴史


シンガポール史

自由貿易港 シンガポール

1819年、はじめてシンガポールの地に降り立った東インド会社のスタンフォード・ラッフルズは、中国、インド間の貿易中継地点として、マレー漁師たった150人余りが生活する小さな漁村だったシンガポールの地に注目した。
ラッフルズは、当時支配下にあったジョホールの王(スルタン)からこの地を買収して、1824年に正式にイギリスの植民地となり(英蘭協定)、商館を設立し、シンガポールは自由貿易港とした。
つまり、大手企業の社員が王から土地を買い上げて、支店を作ったという感じでしょうか・・・
以後のシンガポールの発展はめざましく、港や都市が整備され貿易中継地点として急速に発展していくと、労働を求めて中国の広東、福建かから、また当時インドの植民地下におかれていたインド人たちが移民してきて多民族国家となり、ますます繁栄していった。
ラッフルズは現在でも「シンガポール建国の父」 として、シンガポリアンに愛される存在だ。


第二次世界大戦と日本占領時代

第二次世界大戦が勃発し、日本が参戦を決めると、イギリスのアジアにおける拠点であるシンガポールは日本軍によって攻められ、シンガポールは日本軍VSイギリス軍の戦火の地となった。1942年2月15日、日本軍によって占領されたシンガポールは、「昭南島」と名付けられ、日本軍による軍国主義政策のもと、日本語教育などされ、マレー人、インド人を優遇したため、中国人たちの間で反発が広がっていった。
そのため日本軍は18歳から50歳までの50000人もの中国人を反日分子として拘束、拷問などを行い中国系住民を殺害し、その犠牲者は日本政府の見解でも4000人から5000人、現地では40000人から50000人ともいわれている。

また、現在のブギス・ビレッジ付近には、たくさんの日本人たちが移住してきており、「リトル・ジャパン」と呼ばれていた。



戦後から独立まで

日本の敗戦後、シンガポールは再びイギリスの植民地となるが、1948年から植民地からの解放を訴える民族独立運動が活発になった。この独立運動の中心となったのが、リー・クァンユー(後のシンガポール首相)率いる人民行動党である。
1963年にマラヤ、サバ、サラワクと共にマレーシア連邦を結成し、イギリスより完全独立する。
しかし、マレーシアのマハテール首相による「マレー人優遇政策」によって、マレー系住民と中国系住民の間で衝突が起きるようになり、リー・クァンユーは中国系住民を率いてシンガポールとして、マレーシア連邦より独立を果たした。


独立から現在まで

リー・クァンユー首相は、さらに自由貿易を拡大し、海外からの観光や金融の誘致、高度教育、情報化社会に力を入れ、現在では購買力ランキング1位になるほどの経済成長、発展を遂げた。
また、海外からの人を迎えるにあたって、安全でクリーンな国をアピールするために、厳しい罰金制度、厳しい処罰制度をもうけていることでも知られている。



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